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最高裁判所第二小法廷 平成3年(オ)694号 判決

上告人

渡邉金光

右訴訟代理人弁護士

亀川清

被上告人

田中雪枝

右訴訟代理人弁護士

金子龍夫

坂本佑介

中嶋英博

主文

原判決を破棄する。

被上告人の控訴を棄却する。

控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人亀川清の上告理由について

一  原審の適法に確定した事実関係は、概要、次のとおりである。

1  被上告人の所有する本件土地は、下水道法二条七号にいう「排水区域」のうち、同条八号にいう「処理区域」にある。

2  被上告人は、昭和五四年六月ころ、本件土地及びその地上に存した旧建物を取得したものであるが、本件土地は、その北側に位置する上告人の所有する土地などに取り囲まれた袋地で、被上告人が本件土地を取得する以前から、代々の所有者は、上告人の所有する土地のうち本件通路部分からその西側に存する本件私道を経て公道に出ていた。なお、本件私道は、建築基準法四二条にいう道路であるが、本件通路部分は、同条にいう道路ではなく、旧建物は、同条にいう道路に接しない建物であった。

3  被上告人から本件土地の管理を任されていた母親の河村照子は、昭和六〇年四月ころ、旧建物をほぼ全面的に解体して新たに本件建物を建築したが、建築確認を受けていないため、特定行政庁から工事の施行の停止を命じられていたのに、これを無視して本件建物を完成したものである。

4  旧建物では、被上告人宅の汚水はくみ取り式で、その余の排水は本件土地に掘った穴に吸い込ませていたので、隣地に下水を流入させることはなかったが、河村は、本件建物を建築する際、下水管を本件土地から本件通路部分を経由して本件私道にまで敷設し、そこに埋設されている下水管に接続して排水を図ろうと考え、上告人との協議が調わないまま、本件通路部分に下水管を敷設する工事を開始しようとした。これに対し、上告人は、被上告人が建築基準法四二条にいう道路に接しない土地であることを知りながら本件土地を取得し、建築確認の手続を経ないで本件建物を建築したとして、本件通路部分に下水管を敷設することを拒絶した。そこで、河村は、本件土地の西側に位置する訴外吉村の所有する土地に、同人の承諾を得ないまま、かつ、その留守中に同人宅のブロック塀を壊して下水管を敷設し、これを本件私道の下水管に接続した。なお、吉村は、これに抗議したが、本件訴訟の結論が出るまで暫定的に下水管の敷設を認め、現在、本件土地・建物の下水は、吉村の所有地から本件私道の下水管を経て公共下水道に流入している。

5  本件私道の下水管は、その南側に位置する土地の所有者である吉村ら三名が敷設したもので、上告人宅の下水の排水のためには利用されていない。

二  被上告人の請求は、本件建物の建築に伴い、下水管を敷設して下水を排水する必要が生じたとし、本件通路部分に下水管を敷設するのが最も合理的であると主張して、上告人に対し、下水管の敷設工事の承諾及び当該工事の妨害禁止を求めるものであるが、上告人は、本件建物が建築基準法に違反して建築されたものであることから、違法な建築物である本件建物の下水を排水するために本件通路部分に下水管が敷設されることを上告人が承諾する筋合いではないなどとし、本件請求は権利の濫用に当たると主張して、これを争うところ、原審は、前記事実関係の下において、被上告人は、上告人に対し、本件通路部分に下水管を敷設すること及び当該工事を受忍するよう求める権利を有するとした上、本件請求は権利の濫用に当たらないと判示して、これを認容した。

三  しかしながら、本件請求が権利の濫用に当たらないとした原審の判断は、首肯することができない。その理由は、次のとおりである。

1  原審の確定した前記事実関係の下においては、本件建物の汚水を公共下水道に流入させるには、下水管を本件通路部分を経て本件私道にまで敷設し、そこに埋設されている下水管に接続するのが最も損害の少ない方法であると見られるので、被上告人が上告人の所有する本件通路部分に下水管を敷設する必要があることは否めない。

2 しかし、本件建物は、被上告人が建築確認を受けることなく、しかも特定行政庁の工事の施行の停止命令を無視して建築した建築基準法に違反する建物であるというのであるから、本件建物が除却命令の対象となることは明らかである。このような場合には、本件建物につき、被上告人において右の違法状態を解消させ、確定的に本件建物が除却命令の対象とならなくなったなど、本件建物が今後も存続し得る事情を明らかにしない限り、被上告人が上告人に対し、下水道法一一条一項、三項の規定に基づき本件通路部分に下水管を敷設することについて受忍を求めることは、権利の濫用に当たるものというべきである。ところが、被上告人は、本件訴訟提起の前後を通じ、右の事情を何ら明らかにしていない。

3 そうとすると、本件建物が今後も存続することができることが明らかでない段階における本件請求は、権利の濫用として許されないというべきである。これと異なる原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるというほかなく、その違法が判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、以上説示したところによれば、被上告人の請求を棄却した第一審判決は、その結論において正当であるから、被上告人の控訴は理由がなく、これを棄却すべきものである。

よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤島昭 裁判官中島敏次郎 裁判官木崎良平 裁判官大西勝也)

上告代理人亀川清の上告理由

原判決は下水道法一〇条一一条、民法の相隣関係の第二〇九条、第二一一条、第二二〇条等の解釈適用をあやまり、建築基準法四二条四三条の規定に違反し、被上告人の請求を認容した違法があって破棄を免かれない。

一 原判決は、

被上告人が原判決別紙物件目録三の福岡市中央区警固一丁目一八七番の宅地(以下本件宅地という)を所有し、同地上に木造瓦葺平屋建四二、一四平方メートルを所有していたところ、右建物につき昭和六〇年四月頃から改修工事に着手したこと、右土地は上告人所有の同所一七〇番地一宅地四六、九〇平方メートルに接していること、何らかの方法で他人の土地を通過して下水を排水せざるを得ないことは、当事者間に争いがないとし

本件土地が公道に通じていない袋地であり、本件土地は建築基準法にいう道路に接していないこと、本件土地とその地上の旧建物との管理を委任していた被上告人の母親河村澄子は、昭和六〇年四月頃旧建物をほぼ全面的に解体して新たに本件建物を建築したこと(同人の行為は被上告人の行為と評価される)、河村は建築確認を得ないまま工事を開始し、福岡市から建築禁止の張り紙をされたがこれを無視して工事を完成させたこと、を認定した上、

「旧建物の改修に籍口して新建物を建築した河村や被上告人は同法(建築基準法)を無視し潜脱したとの評価を免かれない」としながらも、「隣接土地相互間の利用の調整を目的とする民法二〇九条二一一条二二〇条及び他人の土地に排水設備をすることができる旨及びその設置のため他人の土地を使用することができる旨を定める下水道法一一条の趣旨に照らし、被上告人は上告人に対し(上告人の前記土地に)本件下水管設置とそのための工事を受忍することを求める権利を有している、と判示した。

二 右判断は建築基準法六条四二条四三条の規定の解釈をあやまり、下水道法が都市生活における最優先するが如き見解に基づくものであり、破棄すべきこと明らかといわねばならない。

袋地の所有者が地上に家屋を建築した場合、四囲の土地所有者に対し下水の排水を求める権利を有するとしても、それは建築基準法の諸規定に適合する建物であって建築確認を経たものでなければならない。したがって建築を始めるに先立って建築確認を求めなければならないところ、本件新建物についてはその手続が採られていない。

のみならず、本件土地は所定の幅員ある道路に二メートル以上接していないのであるから、もともと建築はできない土地である。

被上告人が建築開始当初からこれを知っていたと推認されるが、仮りに不知であったとしても前敍のとおり福岡市より建築禁止の張り紙をされた時点でこれを知悉したというべく、工事の続行は中止すべきであった。しかるに法を無視し、行政庁の制止を意にせず敢えて工事を完了した。

同法六条に違反した者には刑事罰が科されるし、代執行により違法建物の除却もできるほどの強度の取締法規である。かかる法規に違反しても建築されてしまえば、下水の排出等適法の建物と同様に法の保護を受けえられる―こんなことが許されようか。

この点につき我妻栄教授はつぎのとおり主張される(新訂物権法民法講義Ⅱ、二八七―八頁)

「建築基準法は、都市計画区域内において建物を建築するには原則として敷地が、四メートル以上の道路に二メートル以上接しなければならないと定めている。この条件を備えていない土地の所有者が、袋地の通行権を理由に右の条件を充たすための通路の開設を隣地の所有者に請求できるかは問題である。これが認められないと都市区域に建物を新築もしくは改築することのできない土地が生ずることになる。通行権という範疇をはみ出し民法の予想しないところである。肯定することはむずかしい」

下水排水権についても、同じことが云える、というべきである。

三 原判決は、

「新建物の建築手続が違法であっても、その新建物が建築基準法九条一二項に基づいて行政上の代執行により除却さるべきか否かは行政上のものとして別個に行政庁において第一次的に判断さるべき筋合のものであり」という(原判決六枚目裏)

その云わんとされる趣旨はよく理解できない。行政庁、検察庁は代執行により除却するか、起訴するか勿論その裁量権の発効による。ただ、右各庁が違反者に対し所定の手続をとらなかったからといって、司法裁判所がこれに拘束されることはない。上告人ら本件土地周辺の居住者は、被上告人の横暴不敵な工事に対し裁判所もまた何の救済手段をとってくれないのかと凝視しているところである。

四 第一審の判示はまことに適切である

「民法二二〇条は土地所有者に隣地への下水排水権を認めているが、同条によって認められる下水は、原則として適法な土地利用によって生じたものに限られ、違法な土地利用によって生じたものは含まないと解するのが相当である。

前記認定事実によると、仮りに本件土地からの下水排水の必要が本件土地の適法な利用から生じたものならば、本件土地の下水は本件通路部分に排水するのが合理的であるといえないでもない。しかしながら、本件建物の建築前には本件土地の下水を隣地に排水する必要はなく、本件建物の建築によってその必要が生じたものであるが、本件土地は建築基準法にいう道路に接していないのであるから、本件建物の建築は同法に違反する行為といわざるを得ない。すなわち、本件土地からの下水排水の必要は違法な行為によって生じたというべきである」

なお、附言する―原審は裁判所の構成に変更があって再開した最初の且つ最終口頭弁論期日において、上告人の主張を釈明して抗弁(権利乱用の抗弁)と陳述したとしている。予備的抗弁と解してもよいが、上告人は第一審以来縷々準備書面で、被上告人には本件下水排水権がないことを主張していることを御理解いただきたい。

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